剣道稽古日誌(令和5年9月21日)No.185
一般 F川先生、S井先生、K内先生、T屋先生、S藤
高校生 磐高剣道部員、W辺くん、G司くん、H根田くん
タイトル「あなたは見る稽古に時間をつかっているか」
剣道の稽古は体感を鍛えることだ。
相手の状況を目で見て判断し、この間合いから、このタイミングで、こう打てば、一本になる。そういうイメージを体に刻み込むこと、それが稽古の役割だ。
面を実際につけてみるとわかる。相手と正対したとき、ひとは自分の手元の竹刀が面の中からみえない。
だから、自分がどういうふうに竹刀をもっていのるかということは実のところ正確にはわからないはずだ。にもかかわらず剣道経験者は、さも見えている如く竹刀を操作する。それは稽古で竹刀を持つイメージあるいは体感を作り上げているからだ。
試みに、稽古経験のないひとに面をつけてもらって構えてもらってみるといい。
イメージと体感をもたない初心者は、竹刀を大きく前につきだして、面の中から竹刀をもつ手元がみえるように構えるはずだ。それはもちろん恐怖心からそうすることもあるだろう。しかし大方の理由は、自分の竹刀が視界にないという不安にたえられずそうするのだ。すなわち初心者は自分の手元のイメージをもてないので、視覚に頼った構えをするしかない。
それに対し剣道経験者は、稽古を積み重ねることで、視界に頼らずとも、頭の中のイメージと打てたときの肉体の感覚で構えを作ることができる。
これこそ稽古の効用というほかはない。
しかし、そういう感覚を鍛える稽古法、ここでは「する稽古」と呼ぶが、それが剣道の稽古法のすべてではない。もう一つの大事な稽古法がある。
それが、「見る稽古」である。
兵法に「敵を知り己を知れば百戦殆うからず」ということわざがある。
現代のスポーツにおいて、このことわざをいいかえるとすれば、己を知るとは、己の姿を見て研究することであり、敵を知るとは上手な人の姿を見て研究することではないだろうか。
つまりこのことわざは「見る稽古」が百戦する上で重要な要件であるということを指摘しているのだ。
では剣道における「見る稽古」とはどういうものだろうか。
それには2つある。けれども、その2つは決して新規の目新しいものではなく、従来から剣道経験者なら誰でも知っている稽古法だ。
ひとつは、鏡で自分の姿を映し出して見る「自見の方法」とよべるもの。もう一つは上手な人の稽古をみる「他見の方法」とよべるものである。
「自見の方法」は、今では鏡に加えビデオやタブレットで、動く自分を観察できるようになり進歩している。自身の悪いところをチェックし、自分の剣道の改善に役立つ。
もう1つの「他見の方法」は、いわゆる見取り稽古のことだ。
自分にない、わざ、間合い、タイミング、姿勢、キレ等を上手な人から盗んで、もう一段上の剣道を目指すときに有効である。
いずれにしろ、これら「見る稽古」は「する稽古」の空白を補う点で必須の稽古法である。
こんな重要な稽古法。ないがしろにせず、もっと積極的に取り入れない手はないはずです。
果たしてあなたは見る稽古の時間を充分にとっていますか?
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