剣道稽古日誌(令和5年9月7日)No.183

一般 F川先生、S井先生、K内先生、M川、S藤

中学生 K澤


タイトル「だめなときほどいい稽古を心がけよう」

  S井先生との会話

    私「今日はさっぱりだめだった。ぜんぜん思うように打てなかった」

    S井先生「そういうときもありますよ」

  S井先生のありがたい慰めの言葉も、体の中を通り抜け、憔悴した心には届かなかった。


一発屋の芸能人がいる。かたや何年も芸能界で活躍する一流といわれる芸能人もいる。

その違いは何なのだろう。

一発屋は笑いの熱量は最初は高いが、あきられるとそのうちその熱量が低くなる。

他方、何年も活躍する芸能人は、笑いの熱量は一発屋ほど高くはないが、一定の笑いの熱量を維持することができる。不調であっても、ある程度の笑いがとれる。それが一流のあかしなのだ。

つまり一発屋と一流芸能人の違いは、笑いの熱量が高いところではなく、それの低いときの熱量をどれだけ高く持続できるかという点にある。

剣道でも同じことがいえる。

八段の先生は、好調なときはいうまでもなく強い。そして不調のときでも、高いレベルの稽古をいつもされる。

それに対して、われわれ普通の人間は好調なときはそれなりによくても、不調なときは今日の私のようにさっぱりだめなものだ。好不調時のレベルの差が大きく、特に問題なのはだめなときのレベルが低い点にある。そこが一発屋と同じだ。

ひとはいいときの自分をみつめるのは好きだが、悪いときの自分をみつめるのはつらい。しかしもしこれからさき一流を目指すなら、不調なときの剣道のレベルを高める、それが課題となるはずだ。